日本の石油化学のあゆみ

エチレン生産量グラフ

出来事 エチレンコンビナート稼働時期
昭和30~32 1955~1957 ◎通産省<現・経済産業省>、「石油化学工業育成対策」発表、石油化学製品国産化への道開ける(昭和30年)。
◎ポリスチレン国産化(昭和32年)。
◎石油化学工業懇話会(石油化学工業協会の前身)が発足(昭和32年)。
 
33 1958 ◎わが国最初の石油化学コンビナートが岩国・三井石油化学(現三井化学)、愛媛・住友化学で完成。同時にエチレン、ポリエチレンなど国産開始(4月)。
◎石油化学工業協会創立(6月)。
・三井石油化学工業(岩国・大竹)
<現・三井化学>
・住友化学工業(愛媛)
<現・住友化学>
34 1959 ◎合成ゴム国産開始(7月)。
◎石油化学製品の生産額が輸入額を上回る。
・日本石油化学(川崎)
<現・ENEOS>
・三菱油化(四日市)
<現・三菱ケミカル>
35 1960    
36 1961    
37 1962 ◎ポリプロピレン国産化(5月)。 ・東燃石油化学(川崎)
<現・ENEOS>
38 1963 ◎石油化学工業の生産額が化学工業業種中最高となる。 ・大協和石油化学(四日市)
<現・東ソー>
39 1964 ◎化学原料の転換時代。石油化学隆盛。
◎東海道新幹線営業開始。東京オリンピック開催(10月)。
◎オリンピック施設、新幹線建設などの面でプラスチックの用途大きく広がる。
・丸善石油化学(千葉)
・三菱化成(水島)
<現・三菱ケミカル>
・出光石油化学(徳山・南陽)
<現・出光興産>
40 1965 ◎ナフサ輸入始まる(1月)。
◎石油化学製品の輸出額、初めて輸入額を上回る。
 
41 1966 ◎エチレン年産100万トンを突破。  
42 1967 ◎石油化学協調懇談会「エチレン年産30万トン基準」を決定。石油化学30万トンプラント時代を開く(6月)。
◎プラスチックの生産世界第2位に、西ドイツを抜きアメリカに次ぐ。
・三井石油化学工業(千葉)
<現・三井化学>
・住友化学工業(千葉)
<現・住友化学>
43 1968    
44 1969 ◎丸善石油化学、エチレン年産30万トン基準による1号機完成(3月)。
◎エチレン年産200万トンを突破。
・鶴崎油化(大分)
<現・レゾナック>
45 1970 ◎エチレン年産300万トンを突破。 ・浮島石油化学(浮島)
<現・ENEOS>
・大阪石油化学(泉北)
・水島エチレン(水島)
<現・三菱ケミカル旭化成エチレン>
・三菱油化(鹿島)
<現・三菱ケミカル>
46 1971    
47 1972   ・山陽エチレン(水島)
<現・旭化成>
48 1973 ◎第4次中東戦争勃発(10月)、第1次オイルショックに見舞われる。石油化学原料も高騰。
◎エチレン年産400万トンを突破。
 
49 1974    
50 1975 ◎エチレン生産量史上初のマイナス成長。  
51 1976    
52 1977    
53 1978 ◎化学系石化7社、石化原料共同輸入(PEFIC)設立(9月)。
◎イランでイスラム革命。原油輸出を全面停止(12月)、第2次オイルショックを迎える。
・浮島石油化学(千葉)
<現・三井化学>
54 1979 ◎日・韓・台第1回東アジア石油化学工業会議を京都で開催(5月)。  
55 1980    
56 1981    
57 1982 ◎通産省<現・経済産業省>「石油化学原料用ナフサ対策」を省議決定(4月)、ナフサの輸入実質的自由化。
◎エチレン年産量、3年連続減少。
 
58 1983 ◎特定産業構造改善臨時措置法(産構法)公布・施行(5月)。エチレン、ポリオレフィン製造業など同法のもとで設備処理等構造改善に取り組む。
◎ポリオレフィン共販会社4社営業開始(7月)。
 
59 1984 ◎日・シ共同事業によるシンガポールのエチレン・プラント運転開始(2月)。  
60 1985 ◎日・サ共同事業などサウジアラビアの石油化学本格稼働。
◎サウジなどから石油化学製品輸入増加。輸出入バランス(エチレン換算)入超に転ずる。
・出光石油化学(千葉)
<現・出光興産>
61 1986 ◎原油、ナフサ安で石油化学工業、競争力を回復。年後半から需要好転、エチレン生産も増加。  
62 1987 ◎エチレン製造業、産構法の業種指定解除(9月)。
◎日本のプラスチックの年産量1,000万トンの大台を越える。
 
昭和63 1988 ◎ポリオレフィン製造業など産構法の業種指定解除(3月)。
◎エチレン年産500万トンを突破。
 
平成元 1989 ◎石油化学製品の需要好調、フル操業続く。  
2 1990 ◎中東湾岸危機により原料ナフサ高騰。  
3 1991 ◎湾岸戦争勃発(1月)、同終結(2月末)。
◎バブル経済の崩壊、景気後退。
◎エチレン年産600万トンを突破。
 
4 1992 ◎景気一段と悪化。
◎エチレン年産量7年振りのマイナス成長。
 
5 1993 ◎不況の長期化、急激な円高で内外需とも低迷。
◎エチレン年産量、2年連続減少。
 
6 1994 ◎三菱化成・三菱油化合併し三菱化学<現・三菱ケミカル>誕生(10月)、業界再編の動き強まる。
◎海外の需要好調、アジア向け輸出活況でエチレン生産回復。
・京葉エチレン(千葉)
7 1995 ◎ポリオレフィン、塩ビの事業統合などアライアンス進む。
◎輸出の大幅増を背景にエチレン生産好調。
 
8 1996 ◎エチレン年産700万トンを突破。  
9 1997 ◎三井石油化学工業・三井東圧化学合併し、三井化学誕生(10月)。  
10 1998 ◎実質経済成長率24年ぶりのマイナス。
◎内需減退によりエチレン年産量5年ぶりに前年を下回る。
 
11 1999 ◎原油・ナフサ価格急騰、湾岸危機以来の最高値を記録。
◎アジアの経済回復を背景に輸出が大幅に増加、エチレン換算で200万トンを突破。
 
12 2000 ◎「東アジア石油化学工業会議」をより開かれた「アジア石油化学工業会議」に改組し、第一回会議を横浜で開催。  
13 2001 ◎世界経済の減速による国内需要および輸出の減少によりエチレン年産量2年連続前年を下回る。  
14 2002 ◎内需減退によりエチレン年産量3年連続減少。  
15 2003 ◎イラク戦争により原料ナフサ高騰。
◎日中石油化学・協会交流第一回会合を東京で開催(11月)。
 
16 2004 ◎原油価格(WTI)初の55ドル/バレルを記録。
◎エチレン年産量2年連続前年を上回る。
 
17 2005 ◎アジア石油化学工業会議を横浜で開催(5月)。
◎原油・ナフサ価格高騰続く。
 
18 2006 ◎堅調な世界経済を背景に、日本経済の拡大基調続く。  
19 2007 ◎国内外の堅調な需要に支えられ原料価格の高騰にも拘わらず、好調な業績を維持、エチレン年産量も史上最高を更新。  
20 2008 ◎原油・ナフサ価格史上最高値を記録(7月)。
◎米国金融危機に端を発した世界規模での景気後退によりエチレン年産量が13年ぶりに700万トン台割れとなる。
 
21 2009 ◎中国を中心としたアジア地域の経済回復により輸出が増加、エチレン年産量2年ぶりに前年を上回る。  
22 2010 ◎アジア向け輸出の拡大、各種需要喚起策による内需回復等から、エチレン年産量3年ぶりに700万トン台を記録。  
23 2011 ◎東日本大震災発生(3月)、石油化学産業早期操業再開に漕ぎつける。
◎アジア石油化学工業会議を福岡で開催(5月)。
◎原料ナフサ免税実質恒久化。
 
24 2012 ◎輸出の減少、内需減退を受けエチレン年産量2年連続減少。
◎保安対策強化の一環として石油化学工業協会保安トップ懇談会を開催。
 
25 2013 ◎エチレン年産量3年振りに前年を上回る。  
26 2014 ◎三菱化学<現・三菱ケミカル>・鹿島事業所<現・茨城事業所>の第1エチレンプラント停止(5月)、クラッカーの本格的な構造改革始まる。  
27 2015 ◎住友化学・千葉工場のエチレンプラント停止(5月)。  
28 2016 ◎旭化成・水島製造所のエチレンプラント停止(2月)。
◎三菱化学旭化成エチレン<現・三菱ケミカル旭化成エチレン>が発足(4月)。
 
29 2017 ◎海外市況高にともなう国産品への需要回帰等からエチレンプラント高稼働を継続。
◎アジア石油化学工業会議を札幌で開催、同会議では「環境分科会」を設置(5月)。
 
平成30 2018 ◎定期修理集中年、エチレンプラントは引き続き高稼働を継続。
◎「海洋プラスチック問題対応協議会(JaIME)」発足(9月)。
 
令和元 2019 ◎米中摩擦の影響が顕在化、世界経済・貿易に対する不透明感高まる。  
2 2020 ◎新型コロナウイルス感染拡大により世界中が混迷を極める。
◎菅総理2050年カーボンニュートラル実現を表明。
◎エチレン生産量が27年ぶりに600万トン台割れとなる。
 
3 2021 ◎1年遅れて東京2020オリンピック・パラリンピック開催。
◎コロナ禍継続もエチレン生産量回復、2年ぶりに600万トン台に戻る。
 

エチレン生産量

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